以前、エチカの鏡で取り上げられご紹介したこともありますが改めてお伝えします。
それは「車椅子バスケの伝道師」といわれる京谷 和幸選手についてです。
「プロフィールには1971年北海道生まれ小学2年からサッカーを始め、室蘭大谷高校時代にはインターハイ2回、高校選手権3回、国民体育大会3回出場3年時の選手権では優秀選手選ばれた。
2年時にはユース代表、3年時にはバルセロナオリンピック代表にも選ばれるなど、将来を嘱望されていた。高校卒業後、古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)に入団したが、93年に自動車事故で引退。
94年から車椅子バスケットボールチームの千葉ホークスに所属し、全国車椅子バスケット選手権で8度の優勝を経験。日本代表としても活躍し、シドニー、アテネ、北京と3大会連続でパラリンピックに出場した」
京谷さんが事故にあったのは22歳の時で、Jリーグが開幕した年で選手としてはこれからという時にでした。
主治医から宣告される前に妻の日記を見てしまい、「脊髄神経がだめになって、車椅子の生活」というようなことがかいてあり受け入れることができなかったといっていました。
医師に正式に宣告される日の朝は来る日が来た。主治医のほかに、医長先生もいたりして・・・。「これから車椅子生活になります」といわれ「はい、わかりました」と答えたそうです。
入院生活はリハビリも入れて約7カ月していたそうです。私自身も病気で3カ月間入院した経験がありますが、1.5カ月ベット生活しているとペットボトルのフタが空けらないくらい筋力が落ちてしまいます。
車椅子に乗るのにも一苦労します。リハビリは使っていない筋肉のストレッチからですがこれがもう地獄の苦しみです。
話をもとに戻すと、この京谷さんの奥さんがまたすごいのです。入院中に入籍をしたといっています。
事故後の11日目に籍を入れたそうです。彼女と婚約をしていて、事故にあった日は結婚式の衣装合わせの日だったそうです。彼女の方から入籍しようと言ってきたそうです。
その時、車椅子生活になると思っていなかったので「なんで、今なんだ?」と思ったそうです。その時すでに彼女は車椅子生活になることをわかっていたそうです。
後の話で、京谷さんのご両親は「結婚の話は白紙に・・・」と彼女のご両親にいったそうです。でも妻は頑として首を縦に振らなかったそうです。
また、インタビューのなかで事故が人生の転機になったと、はなしをしています。それまで当たり前だったことが、両足の機能を失ってできなくなってしまった。それで「うわ、オレ一人じゃなにもできないんだ」って思ったら、周りがどれだけ支えてくれているかってことに気づいたんです。
「オレいろんな人に支えられて生きているんだ」って。妻と入籍したことも大きかったですね。事故に遭ってサッカーもできなくなり、何もなくなってしまった。と思ったら、妻から入籍しようと、言ってくれた。
「一人じゃないんだ」っておもいましたね。それに彼女の覚悟の大きさを考えたら、今自分がしなければいけないことはサッカーができなくなってクヨクヨすることなんかじゃなくて、彼女を幸せにするために頑張ることだ。
と、そう思ったら前向きな気持ちになれました。多分、今の僕があるのは妻のおかげですね。
これを読んでココロがジーンとなりました。京谷さんの現実を受け入れる不屈な精神も凄いですけれど、生涯、車椅子生活と知っても入籍する奥さんの強い思い。こんな女性と出会えることできれば、男性も幸せと思いました。
健常者が気づかない本当の幸せを障がい者が教えてくれます。
未来は自分で開こうと思う人に開けるのではないのでしょうか。



